なぜ、人は減り続けるのに、家は増え続けるのか?

23日土曜日に高知で行われた東洋大学理工学部建築学科の野澤教授による講演、パネルディスカッションを聞いてきました。

 

単に空き家と言っても分類があり、整理していくとなぜ活用できないのか様々な問題点が現れてきます。

持ち家政策の副作用や、相続放棄、相続者の多さ、家単体だけなくインフラを含めた面の問題など、肌感覚ではわかっていたことがやっぱりという納得感がありました。

戸建住宅における終活というキーワードもうまいなと。

高知でも元々田畑だったところを宅地として住宅建設が進んでいますが、この現象の行く末を考えると。。

 

人口が減ることのメリットを考えると一人当たりの土地が増えるので、敷地いっぱいに建っている住宅街は空き家の両側に家主に土地を買ってもらい、2コ1、3コ1にしていくという考え一人に一台車がある高知のライフスタイルにも合ってくると思います。

元々高知は平野が少なく、住宅を建てられる土地が少なかったので地価が高かったということなので、ゆるやかに地価も所得にあってくればと中心街の魅力も増えてくるかなと。

 

あと個人的には所有の不明となっている土地が多くあるということですが、そういう土地の固定資産税はどう徴収しているのでしょうか。。

こういう物語が始まりそうな路地が好きですね

こういう物語が始まりそうな路地が好きですね

「専門と日常 専門家から観た非専門的な世界」

先日大学時代の恩師内田祥士先生がシンポジウムを行うということで、久しぶりに大学へ行きました。

内田先生は自分たちの代を最後に東洋大学工学部(現在の理工学部)建築学科から新設されたライフデザイン学部人間環境デザイン学科へ移動されたので、母校でのシンポジウムですがキャンパスが違うので新鮮な感じでの参加でした。

まずは、こども環境が専門の仲綾子先生による「建築写真には、何故、人がいないのか」。

写真の歴史から、建築界では王道的な雑誌「新建築」において人が写っている割合の分析、建築写真の目的や建築家、写真家、編集者それぞれの立場での解釈など質疑応答では数多くの話題が飛び交っていました。

個人的には建築写真という意味をもつ写真をどう定義するのかというところに核心があるように思い、どのように建築を見せていくかを考える良い機会になりました。

次に、メカトロニクスが専門の高橋良至先生による「鉄道時刻表は、何故、読み物ではないのか」。

この議題は正直自分には難し過ぎました。。でも辞書や電話帳の様にただの検索するための道具ではなく、時刻表をもとに旅路を想像(創造)することができる希有な存在であることは理解できました。またそういう存在であるが故に推理小説との相性が良い事など、なるほどと感じる事ができました。

最後に、内田祥士先生による「電柱・電線は、何故、埋めたくなるのか」。

街づくりや景観の視点から電柱・電線を地中に埋設した方が良いという議論に対して本当にそうなのかという議論。なぜ見えない様にしたいと思ってしまうのかを丁寧に分析していき電柱・電線の乱立は欲望を表しているが故に本能的にそう思ってしまうのではないかという推察には説得力がありました。その一方で電柱・電線は本当に埋めないとダメなほど美的ではないのかという視点に立ってディテールを解説する内田先生は本当に楽しそうに話し、聴衆を独特な雰囲気に引き込んでいきました。

自分自身が改修物件が多い事や元々改修に興味があり修理しやすいシステムについて建築についても考えることが多く、興味深く楽しい時間になりました。

壮麗とは「美的」ではないが重要な価値を秘め、なんとか持ちこたえている姿という解説はあらゆるところで当てはまることだなとつくづく感じました。

3つの議題はそれぞれエッジが効いていてタモリ倶楽部で取り上げてもらいたいくらいの内容でした。

久しぶりに大学の空気を感じ新たに頑張ろうと思える良い一日になりました。